自分の名前はどのようなきっかけて付けのか

およそ1700年前の本当の倭国は筑豊だということが、最近の調査で筑豊にあったというのがありました。私の名前は小竹のある伊都国(イツコク)であった分かった、お袋が付けてくれた名前だったので何でこんな変な名前と思ったが、親戚全部の墓があるところである。小竹にあり、そこは昔はイツコクと言われた国のあった場所であったことを知り、自分の名前と密接に関係があることが分かった。ああ、今まで生きていたことをありがたいと、大変うれしい思いをした。

ある200年前の定義:クリスチャン

哀れみ深い、人助けする、霊に燃えている。神とは不死の心。死すべき心とは、罪、悩み、死である。肉体的感覚、性愛、それらを失敗、影と呼んで間違いである。魂を物質と呼称する。なぜならば魂そのものは、物質である。私は神を個人的な存在として、格付けする。しかし、神の肉体的性質を否定する。それを私は真の永遠なるものと呼び、その対立するもの、一時的なもので、非現実のものて記述する。精神は現実であり、物質は非現実である。

日本人は数千年前から基督教的であった

イエスが誕生するときに東の国から3人の博士が祝いに無やってきたと聖書にかいてある。当時の東は地図に書くと今の北に位置する。そこに存在する国は日本の島である。3人の博士は日本から来たことになる。そこは八百万の神の国である。

キリスト教は、一神教というより、三位一神教。神は3人いるが、便宜的に一人として行動する。これは、多数の社員がいるが、一人の法人として働くということに、近似している。そのいみでイエスの神は一人ではない。たの神々は無限とうことである。神道は、古代にアジアに広まったが、ここ日本において、縄文時代から神々を知る民であった。ここ数百年わたり白人は日本をキリス教化しようとしたが、すべて失敗した一つの原因は、白人宣教師たちの神理解が不十分であった。3人の博士は、中近東からの博士だと勘違した。それが間違いのそもそもの間違いの始まりである。イエスはすべての人が自由なるために来たと言ったにもかかわらず逆にキリスト教を使って、聖職者も為政者も人々を奴隷化することに狂奔した。そうした白人の下心を、一般の民衆は完全に見抜いていたから。日本人の奴隷化を日本人は跳ね返してきたのである。ついさいきんのマッカーなる人物は、日本人怖さにキリスト教かを図ったか、見事に失敗た。

https://www.youtube.com/watch?v=ViaAQY9_vhY.

全て古代は日本列島から始まる。

縄文は1万6千年前にはじまる。これまでにこの列島で多くの石に刻んだ文字が発見されている。神代文字、オシテ文字、カタカムナ文字、縄文時代に文字はあったる豊国文字である。「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいうわたそを、はたくあかうえに、さりてまあせるはけれ」

大量の原料となる真麻欄を採集し、それから取った細糸を紡ぎ衣料を整え強い兵を大量に育成せよ、そうすれば抗戦する悪い部族の敵は彼方に退散する、と読める

この石史は宇佐神宮に保管されていると言われる。